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災害支援@輪島 その②

· 院長ブログ

暖かな週末となりました。桜も早いものは咲き始めているくらいですが、まだ寒の戻りもあるようで、温度変化に着物調節で対応しましょう(^_-)。

今回は前回のブログの続き、院長の参加したJMAT活動の報告です。大変な長文で先に謝っておきますね。パート③はありません! 前回はこちら

初日は能登への移動、JMATの統括本部・支部へのチェックインで夕になってしまい終了。

本格活動の2日目から4日午前まで、輪島市内での活動となりました。宿泊地の七尾からは渋滞、前回ブログにも書いた道路事情もあり毎日往復3時間かかりました(^^;。

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市内は道路上のがれきなどは片付けられ通行できるようになっていましたけど、あちこちで震災の爪痕はそのまま。倒壊した建物や傾いた電柱も当時のまま、TVでよく映し出される輪島朝市周辺は、言葉の通り焼野原と化していました。言葉を失う光景の連続でした。今にも崩れてきそうな建物の脇を若い親子が手をつないで歩いていくのを目にして、これを日常として受け入れ前を向くしかない現地の方に頭が下がる思いでした。写真のように道路のマンホールは筍のように飛び出してしまっているところも。この現象は地震による地盤の「液状化」が関与しているそうで、地面は液状化で沈み比重の軽い管状構造物は浮いて上昇することでこのようになるとあとで知りました。天災の威力は本当に恐ろしいものです。市内の多くの場所でまだ断水状態、トイレも一部でのみ使用可能でした。

当班の現地活動初日は、市内で要介護者さんを避難受入れをされているウミュードソラさんでの介護支援。訪問日は34名の入所さんが見え、その方たちを支える多くのボランティアスタッフさんも。災害時には本当に多くの支援者さんたちが関わっていることを知りました。普段は訪問ボランティアナースとして全国で活動されている「キャンナス」さん達も災害時は積極的に支援に動かれここでも複数入られており、ほかにも個人のドクター・医学生の方もボランティアで調理役も兼ねて支援されていましたし、NPO法人「口から食べる幸せを守る会」の方がボランティア活動で料亭が手掛けた介護食を無料でふるまったりするところにも立ち会えました(豊橋の「あい訪問歯科クリニック」の先生でした!)。

院長も入所者の方とおしゃべりしたりラジオ体操しながら本職の活動としては数人の皮膚トラブルを診察させてもらいました。午後にはここからの依頼で1件独居の方のおうちに往診も行っています。

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このとき処方が必要になり「災害処方箋」という特別な処方箋を発行しそれをもとに薬局さんが調剤するということも初経験。本来保険医療機関内の場所でなければ発行できない処方箋(保険処方箋)。その際みなさん知っての通り保険に応じて3割、1割と診察処方箋にはお金も必要となりますけど、災害救助法適用地域の避難所など保険医療機関でない場所でも特別に医師が処方ができる(費用も県や市が全額負担)ものです。恥ずかしながら初めて知りました。

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施設の入所者さんは様々な事情、体調不良があってここにいるはずなのに、スタッフさん、たくさんの支援者のおかげでみなさん明るく過ごされ、こちらがイジられるくらいお元気な方もみえました。関連施設同士オンラインでライブ画像をTVで映し合い、みなでこの時期を乗り切ろうという感じも。

3日目は輪島市内の診療所とその先生方の現状調査、JMATとしてお手伝いできることのニーズ調査のため市内を車で走り回りました。輪島市は新城市よりちょっと小さな面積くらい、同じような田舎でもあり隅から隅まで走ってもそう時間がかからないのが通常だと思うのですが、報道のように海岸線の道路は寸断され回り道も多く行き来には時間がかかりました。市内で12件ほどのクリニックがあるのですが、うち7件では水道復旧はまだでしたが診療を再開されていました。コンテナ診療や医師看護師の派遣支援をうけての診療をされ地域の重要なインフラを一生懸命守っている先生、スタッフの避難・転居をやむなくされ人員不足の中なんとか踏ん張っている先生、クリニック倒壊で自身も避難所生活をしながらその一角で時間を限って診療されている先生、建物全壊で連絡もとれない先生。みなさんそれぞれの苦労の中、自身としても大変考えさせられる一日となりました。いずれこの地からJMATも含めた医療支援の手が引き上げられる時期が来るわけで、そこから本来のこの地域の先生方だけの診療に戻った際に地域需要に答える医療体制を再構築する手助けを今後も国や日本医師会はし続けていくはずです。

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最終日は市内の輪島中学校にある大規模避難所に現状・衛生調査、医療アクセスの広報状態の確認で伺いました。崩れひび割れた校庭には自衛隊車両が多く並び、入浴支援部隊が提供するお風呂テントが7個!たくさんのトイレ車(車椅子対応のリフト車両も)も入り口付近に並んでいました。徐々に避難者は減っているとのことでしたがこの日でもここに300人!。日中の訪問、みなさんお仕事や罹災関連で行政機関に、学生は授業(中学生は近くの高校に授業に行かれたりしています)に行かれ、人気が少なく段ボールテントが並ぶ体育館。一時は正月明けの当地のようにインフルエンザや新型コロナ、胃腸風邪など感染症が多かったようですが、衛生環境整備、時間経過で現在は落ち着いているようです。朝晩には多くの方の日常生活がここで営まれていることを想像すると、大変なストレスの中みなさんが頑張っていることが容易に想像されました。あとで紹介する当班と同時期に輪島で一緒に活動させていただいた神奈川JAMTの先生は今回の発災当初混乱を極めた時期にこの避難所の支援に入られ、あらゆる避難所環境整備・医療人道支援をされた素晴らしい方で、今回ここを案内してもらいました。

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活動終了間際に、海沿いにできていた仮設住宅の環境調査にも行っています。平日昼間、やはり人はほぼおらずでしたがお一人ご高齢女性住民の方にお会いできています。朝市周辺に住んでおり今回の被災で焼きだされ、一か月前にこの仮設住宅に入居できたと。知り合いもおらず近所付き合いもなく本当に寂しいとおっしゃっていました。地形の問題でどうしても仮設住宅用地が限られますし本来のコミュニティー単位での集団入居という形も難しいと思われ、これも今後の運営の課題かと感じています。

輪島を離れる直前、今回この地で一緒にJMATとして活動させていただいたJMAT神奈川チームと記念撮影。黄色でない衣服の方が神奈川チーム、院長の隣の男性が湘南おおふなクリニック院長の長谷川先生です。在宅医療も含め本業の診療所業務も多忙を極めていると思われる中、災害医療支援を日ごろから真剣に勉強され様々な現地活動や地元での災害教育・普及活動を行われている先生で、自身のクリニックの職員さん達で構成されたチームでした。先生方には本当に多くの配慮、手助けをしてもらい、神奈川チームなくして今回の活動はなかったと思っています。自身のチームメンバーといい、人に恵まれた4日間に感謝です!(^^)!。

 

今回の経験を今後当地での災害対策に少しでも活かしていくことができれば、、。帰宅時に県医師会のほうには活動からから感じたことを報告助言してきましたけど、今後当地医師会などでも発信していきたいと思っています。

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これからも能登の皆さん、輪島の皆さんを心から応援していきたいと思います。行けるものならもう一度支援に出向きたいと思うくらいで。

最後の写真の院長の手元、ピースサインをくっつけているのは、、、、そういうサインです。

(海外の一部では裏ピースはダメらしいですm(__)m。このほうがくっつけ易かっただけで他意はありません!)